(月別チラシ枚数)
2011年3月11日~
のチラシ総数
0枚
東日本大震災で1284人が死亡・行方不明になった岩手県大槌町。ここでこれまでに地元紙・岩手日報に折り込まれて被災者に届けられたチラシは5551枚だ。その内容と、チラシを作った人たちへの取材から、この1000日を三つの時期に分けよう。
- 2011年5月 手作りチラシ、いち早く
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東日本大震災後、最初の折り込みチラシを出したのは、内陸の奥州市に本社を構える「東亜リース」だった。
「進出の決断は早かった」と菊地信夫社長(63)。阪神大震災、中越地震……。大災害は、膨大な重機のニーズを生み出す。「被災地のつらさ、みじめさは知っていたから」
「グランドオープン!!!」
開所前日。震災から77日にあたる11年5月26日のチラシは、パソコンで作った簡素なものだ。営業所は、店を流された「道又新聞店」の仮設店舗と敷地を分け合った。どこも土地を必要としていた。
チラシの束を、当時の新聞店主の道又麻里子さん(51)に手渡した。震災前に1800部だった岩手日報の部数は、600部に激減していた。自動の折り込み機も失っていたため、200枚限り。手作業で新聞に1部ずつ挟んで配達してくれた。
同社はいま、年商約160億円。震災前から90億円増えた。リースした重機約4千台が被災地で稼働している。だが菊地社長は「笑顔にはなれない」。被災県の企業として長丁場となる復興に最後まで付き添う構えだ。
- 2011年6月 手書きの文字に「生きてたんだー」
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「再始動 ロータス倉本からまずは1歩」。2011年6月25日、そんな手書きの文字が躍る黄色いチラシが折り込まれた。
震災の翌日、スコップを手に店に向かっていなければ、「再始動」はあったろうか――。店長の佐々木健児さん(40)はいま、そう思う。
佐々木さんはひとりでスコップを握った。ちりぢりになった従業員が戻るのを待ちながら。「できることをやろうと思った」
チラシを書いたのは事務の鳥居久美子さん(47)。店長の再開への思いをくみ取って文章にした。震災前から同社のチラシは手書きが売りで、鳥居さんが手がけてきた。
うれしいことがあった。再開後まもなく、混雑する店に常連客の女性が訪ねてきて言った。「チラシを見てわかった。生きてたんだー」

店長、従業員らでがれきをかき分け、店に続く道を作った=11年3月、岩手県大槌町小鎚、ロータス倉本提供
- 2011年7月 その人らしい葬儀、できる時まで
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震災直後、遺体安置所となった体育館では何十人もが毛布にくるまれていた。布をめくって顔を確認する人が後を絶たなかった。
「せめて棺(ひつぎ)を」。町の葬儀社「はくえい典礼」の佐々木博美社長(64)は遺族に頼まれ、津波で壊れた社屋から運び出したが、7個しかなかった。
棺が届いても火葬が進まない。町の犠牲者は1千人以上。遺族は棺の周りに故人の好きな物を置いて待った。酒、菓子、おもちゃ――。「落ち着いて泣ける場すらなかった」
営業を再開したのは11年7月でお盆前。「厳選品を各種取り揃えております」。チラシで伝えたが、避難所暮らしの人々が買うのは、ロウソクと線香、骨壺にかぶせる布袋ばかりだった。
震災前、町の葬儀は親族に近所の人も混じり、葬列が100人を超えた。一人ひとりが葬具を持ち、寺の前を巡礼した。「死者と向き合い、心にとどめることで、前を向いて生きる」。その大切な儀式だった。伊藤あき子さん(64)は、津波で亡くした夫を「みんなで送ってやりたかった」と悔やむ。町議だった夫は世話好きで、生前多くの人に囲まれていたからだ。佐々木さんは言う。「その人らしい葬式ができるようになった時が本当の復興だと思う」
- 2011年12月 闇夜照らしたネオン
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「マスト」の看板にネオンのあかりがともった日。専務の小山敏昭さん(51)は振り返るとき、今でも声が少し震える。
市街地の壊滅で夜は暗闇に覆われた町の一角が、唯一のショッピングセンターの再開で明るくなった。
「リニューアルオープン」とチラシで告げた11年12月22日。再開を望む2千通以上の請願書が届いたと藤井征司会長(今年9月に死去)がチラシに書いた通り、店内は大混雑。その日だけで延べ2万人が買い物をした。消息がわからなかった人同士が行き合い、「生ぎでだったんだー」と涙を流す場面があちこちであったという。
1階に入る「一頁堂書店」はその日が文字どおり、「1ページ目」。
店長の木村薫さん(49)は、町内の化学薬品メーカーに勤めていた時、震災に遭った。震災後、親会社から転勤を打診されたが、町出身の妻の里美さん(48)と大槌で生きる道を選んだ。いまは町唯一の本屋だ。
「18年は続けたい」と薫さん。震災の年に生まれた子が高校を卒業するまでだ。店だけで使える図書券を毎年1枚、震災遺児に贈っている。「すてきな本に出逢えますように」と招待状を添えて。



周囲や店内ががれきで埋め尽くされた「マスト」=11年3月、岩手県大槌町小鎚、マスト提供
- 2012年3月 「応援したい」2度目の春、始まる

「再生へ 心ひとつに」
震災から1年後の12年3月11日。この日入った3枚の中に「ワンコイン応援メッセージプロジェクト」のチラシがあった。仙台市で新聞販売会社に勤める小関勝也さん(46)が個人で、11年5月から毎月の月命日に被災地を巡回して発行してきた。
被災した人と新聞販売店の力になりたいと始めた。仕事で知り合った全国の知人を中心に一口500円の寄付とメッセージを募り、そのお金で地元販売店に3千部の折り込みチラシを依頼する。表面は寄付をした人からのメッセージ、裏面は被災した人に向けて行政情報や公的な法律相談をまとめた。
この日、大槌に配達されたチラシの裏面は、営業を再開した仮設店舗を紹介する買い物マップだった。「懸命に営業を再開した店舗を応援したい。地域の経済活動をもり立てないと、復興はないですから」。
震災から1年、地震のあった午後2時46分にバルーンが舞った=2012年3月11日、大槌町、金川雄策撮影
実家跡に父の好きだったビールを供えて祈る岩間敬子さん=2012年3月11日午後2時46分、岩手県大槌町末広町、東野真和撮影
- 2012年6月 通販・化粧品…生活に変化
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震災後、地元のスーパーが仮設住宅向けにネット販売を始めるなど、買い物の仕方に変化が出始めた。岩手日報アド・ブランチによると、震災後、通販関連で新たに5社がチラシを出した。
通販のチラシは11年6月から入り始めた。11月には23枚になるなど枚数を増やしていく。
化粧品や宝飾品も、震災後に急速に伸びた。12年10月には化粧品の、11月には宝飾品の広告がそれぞれピークとなり、被災直後の緊迫した生活からの変化が見て取れた。
11年末、初めて岩手県内にチラシを入れた都内の化粧品会社は「震災から少し時間が経ち、生活向上のための商品にも目が向く時期だろうと考えた」と話す。その後も半年に1度、チラシを入れ続けている。2011年
2012年
2013年
2011年
2012年
2013年
- 2012年8月 増える求人、減るチラシ
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2012年8月26日に入ったナカショクの求人チラシ
町が復旧するにつれ、人手不足が慢性化する。
求人のチラシ枚数のピークは、12年4月の19枚だった。年度が変わり契約満期を迎える人が多い時期に合わせ、地元企業が、従業員を募集するものが多かった。
ところが、求人倍率は高いまま、求人チラシは減り始める。大槌町を管轄するハローワーク釜石によると、震災前0・3倍程度だった求人倍率は、現在では実質2倍になっている。一方、ピークから1年たった13年4月のチラシは、3分の1以下の5枚になっていた。
ハローワーク釜石は「仕事を探している人は新聞購読者のごく一部。求人チラシは全戸に広く配布する折り込みにはなじまなかったのかもしれない。それでも一時期、チラシが入ったのは、それだけ人手が足りなかったからではないか」と見ている。2011年
2012年
2013年
- 2013年2月 離婚や土地問題、急増する法律相談
法律相談のチラシは13年が月0~10枚。11年から徐々に増えている。13年5月には一番多い10枚、6月にも8枚が入り、その大半は地元に拠点を持たない首都圏の法律事務所だった。
震災以降、定期的にチラシを入れている法テラス岩手によると、大槌町内の相談件数は10年度の18件から、11年度は156件、12年度には412件と急増している。
「最近は、高台移転に絡む土地の相続手続きと離婚相談で4割を占める。長引く避難生活のストレスや、震災で職を失うなどして夫婦関係が悪化することが多いようだ。需要を見越してか、首都圏の法律事務所が会議室を借りて出張相談会を開くケースが増えていると聞く」と話している。2011年
2012年
2013年
- 2013年9月 移転の悩み、不動産チラシに
仮設暮らし、進まない移転計画。住居を巡る動きは、不動産のチラシからも伝わってくる。
チラシが入り始めたのは11年6月。最初は、大手ハウスメーカーが被災地に新設した出張所の案内が多かった。同年秋ごろから、各メーカーは完成住宅の見学会を開催。チラシでも告知する。
ピークは12年9月の26枚。完成住宅の見学会と中古住宅関連が目立った。大槌町によると、11年に新築として課税された住宅は11件だったのに、12年は55件に急増している。
12年12月からは造成された宅地のチラシが増える。町が策定を進める復興計画などを待てない人向けに、より内陸の町内外の物件を紹介していた。地元の家子不動産によると、元々、宅地ではなかった田畑を造成して売り出されたものが多いという。- 総数
- 新築
- 展示会・販売会
- 大槌町内
- 完成見学会
- 不動産チラシの総数
- 294枚
2011年
2012年
2013年
- 2013年11月 被災者支援も新たな段階
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震災から1000日。支援団体の活動も節目を迎えている。
12年11月11日、「おらが大槌夢広場」の1周年記念イベント開催を知らせるチラシが配られた。団体は、モンゴルの移動式住居「パオ」のような集会場「町方ドーム」の運営や、食堂などを経営する。1周年イベントには、プレハブの食堂に町民ら約200人が集まった。
それから1年。13年11月27日にドームでのイベントとしては最後となるペーパーフラワー教室が開かれた。ドームは、防潮堤のかさ上げ工事のため11月いっぱいで使えなくなる。工事が本格化すれば、辺りの風景は一変する。
ドームの運営を担当する東梅和樹さん(19)は「ドームがあったことで、仮設で暮らすお年寄りが顔なじみとお茶を飲み、話をする機会を作ることができた」と手応えを感じている。
ただ、新たな活動拠点は約2キロ先の山側。シンボルともいえるドームもなくなる。「地道に地域を回って、何が必要なのか話を聞いて、それを形にしていきたい」。東梅さんは決意を新たにする。
- 廃虚の町に、槌音が鳴った
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岩手県大槌町に駐在して1カ月近い2011年5月26日。地元紙の朝刊に挟まったチラシに、白い紙に黒字で「グランドオープン」と印刷されていた。廃虚の町に槌音が一つ鳴った気がした。
復興を、チラシで追って見ることはできないか。手作りのチラシが数日に1枚入るたびに思い、地元紙のチラシをすべて残してきた。
プレハブを建て、機材や売り物をかき集めて再開する美容院や食料品店。新しく始めた食堂。チラシが入るたびに訪ねた。「誰かが始めないと、町が前を向かないからね」。チラシは、店主が復興のためにあげた「のろし」のようだった。
チラシの数は増えていったが、町内より町外からの広告が目立つようになった。商圏拡大を狙うスーパー、内陸の土地を紹介する不動産業者、仮設住宅向けの品をそろえた家具店――。その中で、たまに入る簡素な町内のチラシは「この地で生きていく」という小さな意地に見えた。
今、チラシには「焦り」が漂う。目立つ求人は、事業を再開しても人手不足に苦しむ現状が映し出される。市街地ではかさ上げ工事が近く始まり、仮設店舗は一度立ち退きになる。停滞感を破り、本格事業再開や新規開店のチラシが舞い込むのを待ち望んでいる。 - にじむ被災地の課題
折り込みチラシが初めて入ったのは、11年5月26日。7月に100枚に達し、12年3月に200枚を超えた。以後月200枚程度になり、震災前の月約150枚より多い。昨年11月まで新聞店主だった道又麻里子さん(51)は「不動産や通販など震災前にない会社が目立つ」と話し、復興需要を感じている。
日本新聞折込広告業協会の分類を元にした主要50業種でみると、11年12月には最多の36業種になり、時期によって特徴が現れた。
美容・理容業は11年が月0~4枚。12年や13年より多かった。11年10月、コンテナハウスでの営業再開をチラシで伝えた理容師の佐々木清三さん(62)は「床屋組合の支援があり、はさみなど道具があれば営業できた」。仮店舗での再開が比較的早い業種だったという。
車関連業は、12年9月の32枚をピークに12年が毎月13枚以上と多く、11年と13年を上回った。12年11月にチラシを入れた北隣の岩手県山田町にある「キヨカワオート」の清川大さん(36)は「車を並べる場所もでき、仮設店舗ではできなかった展示会を再開した」という。
長期化する復興の過程で特定業種へのニーズの高まりもチラシから伺える。その他サービス業での「法律相談」は13年が月0~10枚で徐々に増えている。不動産業は、大半の月で10枚前後を維持する。大槌町の担当者は「12年以降、仮設住宅の不便さから再建に踏み切る人が増えた」と話す。
チラシを分析した東大大学院の荒川拓さん(24)は「初期のチラシは遠野市や釜石市など町外からが多い。時期が進むと町内が増える一方、東京など遠方の業者のチラシも目立つようになる。不動産や通販のように震災後に増加したチラシからは、現地でのニーズと、これをビジネスチャンスと捉える業者の戦略が見える。不動産の枚数が多いままなのは、今も住宅が課題であることを示している」と話す。(デジタル編集部=奥山晶二郎、笹円香)





