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セファルディム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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オスマン朝時代のアレッポで行われたセファルディムの結婚式(1914年)

セファルディムSephardim, ספרדים)は、ディアスポラとなったユダヤ人の内、イベリア半島(スペイン・ポルトガル)起源のユダヤ人とその子孫を指す。

語源は、イベリアを意味するセファラドに由来する。1452年にイベリア半島(スペイン・ポルトガル)から追放された以降は、トルコ北アフリカなどオスマン帝国領土に定住した[1]セファルディームスファラディSephardi, ספרדי)、スペイン系ユダヤ人などとも言う。語源はオバデヤ書(20節)に見える地名、セパラデSepharad、西暦2世紀以降イベリアと同一視された)である[2]セファルディはセファルディムの単数形である。

セファルディムは、他の二大勢力であるアシュケナジムミズラヒムとともに、今日のユダヤ教徒社会の三大勢力であるとみなされている。イスラエルでは一般に、セファルディムが南欧系ユダヤ人、アシュケナジムヘブライ語ドイツを意味する)が中欧東欧系ユダヤ人を指す語として大雑把に使われる場合があるが、これはオスマン朝からイギリス委任統治期を経てイスラエル共和国建国後に至るユダヤ教の宗教行政において「オリエントのユダヤ教徒」(Yahudei ha-Mizrah)がセファルディムの主席ラビの管轄下に置かれていたことに起因する[3]

セファルディムは、中世にイベリア半島(スペイン、ポルトガル)に住んでいたユダヤ人の子孫を指す[4]1492年、イベリアに残る最後のイスラム政権を滅ぼしたスペインにおける大規模な排撃で、その多くが南ヨーロッパや中東、北アフリカなどのオスマン帝国の領域に移住し、少数ながら、オランダやイギリスにも移り、20世紀にいたる。セファルディムの言語は、ラディーノ語(別名:ユダヤ・スペイン語、ジュデズモ語)であり、アシュケナジムが話すイディッシュ語とは異なる。

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オスマン帝国の最大版図(1683年)

有名なセファルディムの人物・家系

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  1. 第2版,世界大百科事典内言及, 百科事典マイペディア,デジタル大辞泉,世界大百科事典. セファルディムとは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年7月26日閲覧。
  2. "from Hebrew Sefarad, Spain"(britannica.comのSephardiの項より)
  3. 臼杵陽「スファラディーム・ミズラヒーム研究の最近の動向 -雑誌『ペアミーム』を中心にして-」
  4. "a member of the Jews, or their descendants, who lived in Spain and Portugal from the Middle Ages until their persecution and mass expulsion from those countries in the last decades of the 15th century".(britannica.comのSephardiの項より)

関連項目

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外部リンク

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